好きなときに好きな人と
好きな場所で好きなことをする人生
石垣島に移住した自遊人夫婦の
スピリチュアルLifeブログ
自己紹介

心理カウンセラーmasaのプロフィール

こんにちは!
心理カウンセラーのmasaと申します。

自遊人夫婦のブログを訪れていただきありがとうございます。

そして私たちのプロフィールに目を通していただき、心から感謝します。

私がどんな人間なのか?

(アナタなんて誰だっていい、だなんて言わないでw)

カンタンな自己紹介をさせてください!

大好きに囲まれたライフスタイル!

1978年生まれの午年です。

心理カウンセラー 兼 ビジネスコンサルタントをやっています。

毎日大好きな仕事をさせていただいており、まさに天職を生きています。

愛する妻のshizuと2019年2月より石垣島での生活がスタート!

(それまではずっと大都会・東京で暮らしていました)

石垣島で暮らしている理由は、単純に二人の大好きな土地だからです。

毎年、観光で訪れるほど大好きな場所でした。

そんな大好きな土地に住むことができて、毎日がより一層しあわせです。

つまり・・・

⦅masaの日常⦆

大好きな妻と大の仲良し

大好きな仕事で生活ができている

大好きな石垣島で暮らしている

大好きな仲間がたくさんいる

大好きなことに囲まれている

そんなしあわせな人生を、おかげさまで送ることができています。

しかし、このような人生を送る前は、紆余曲折が人生においてありました…

子どもらしくない、子どもでした。

私はいたってごくごく普通(普通以下?)のサラリーマン家庭で育ちました。

両親と3歳上に姉がいて、私の4人家族です。

父親はサラリーマン、母親は扶養の範囲内でのパートをしていました。

幼少の頃はずっと公団の団地で育ち、自分の部屋がないのはもちろん、外食も年に一度するかどうかの暮らしです。

両親は、私が物心ついたときから不仲で、ケンカばかりしていました。

(父親が一方的に母親を怒鳴ったり暴れるケンカでした…)

家の中がいつもピリピリしていたので、子どもながらに「空気を読む」という子どもらしくない子どもでした。

何度か学校から家に帰ると、母方のおじいちゃんが来ており、後々、「離婚会議」をしていたのだと知りました。

とにかく・・・

私にとって「家」というのは、居心地の良い場所ではなく、気を遣い疲れる場所でした。

とはいって、学校でも…

小学校6年生という中途半端な時期に引っ越しをして、馴染めず、小学校6年生から中学校3年生までの4年間は、いじめにあい、学校でも自分の居場所はありませんでした。

(小学校のメンバーがそのまま中学校にも進学…)

人間には無限の可能性がある!?

転機が訪れたのは高校2年のときです。

そのときの担任のY先生が、とにかく生徒を一人ひとり大切にする人でした。

朝晩のホームルーム。

先生はいつも、とっても熱いお話をしてくれて、私はグイグイ先生の魅力に引き込まれていきました。

あるとき、

masaは将来、何になりたいんだ?

と放課後に言われたことがあり

何も自信がなくて…何になりたいのかもわからないです。。。

私でも、何かになれるのでしょうか?

と先生に逆に尋ねました。

すると・・・

masaは何にでもなれるよ!

人間には無限の可能性があるんだから!

と、私の目をしっかりと見据えながら語りかけてくれました。

私はその瞬間、カミナリに打たれたような衝撃を覚えました。

そして

何になりたいか今はわからなくてもいい。

でも、2年間で受験勉強をがんばってみないか?

この2年間をがんばれたなら、後々、masaの自信につながるぞ!

そんな言葉を言われて、私はその気になってしまいました。。。

そして…

先生の言葉通り、死にものぐるいで勉強をがんばり、志望校に無事に合格することができました。

高校2年、3年の担任であるY先生は、私の人生を変えるきっかけを与えてくださったかけがえのない恩師です。

今でも連絡のやり取りをさせていただいています。

平凡な人生から、突然、地獄の日々が始まる…

大学に入ったのはいいものの、人生の目的を失ってしまい、ていたらくな大学生活を送ってしまいました…

4年間、平々凡々と過ごし、卒業後は周りの友達と同じようにサラリーマンになりました。

特に「これがやりたい!」というものがなくて、なんとなくの就職活動をして、なんとなくの内定もらった会社に勤めることに。

満員電車に揺られながら出社をし、クタクタになりながら電車で帰る毎日でした。

「サラリーマンって大変だなぁ…」

と毎日毎日、思っていました。

そんな生活が続いていたある日。

急に、それまで普通に元気だった母親が

死にたい…

という言葉を言うようになったときには、驚きました。

シンプルに「どうしちゃったの?」という感じです。

冗談かと思いましたが、うちの母親は真面目な人で、冗談を言うような人ではありません。

そこからおよそ3年間、地獄のような生活が始まりました…

私なんかを止める人は誰もおらず、退職。

おかしいと思ったので、病院に連れて行ったところ、「うつ病」だと診断されました。

それから週に一度、心療内科に連れて行く生活が始まりました。

私は普通に週に5日仕事をするサラリーマンです。

休みの日はクタクタだったのですが、その貴重な一日を使って母親を心療内科に連れて行くという…

父親は母親のうつ病に対して「怠けている!」と怒鳴っては、何も協力してくれず。

姉は結婚して家を出ており、ちょうど出産したばかりの時期でした。

だから、私が母親を見守るしかなかった。

私は仕事をしていても、

母親は大丈夫かな?

と気になってしまい、ミスを連発するようになってしまいました。

当時の母親は「死にたい…」が口ぐせだったので、昼休みとか夕方に携帯電話から、随時、自宅に電話をするようにしていました。

そんな感じで、母親に気を取られすぎてしまっていたので、ミスが頻発し、上司にも呆れられるようになってしまいました。。。

(会社の人には誰にも相談することができず、母親のことは内緒にしていました)

「もう自分自身も限界だ!」

と、発狂寸前になってしまい、辞表を提出して会社を辞めることにしました。

もちろん・・・

私の退職を止めてくれるような人は誰もいませんでした。

明けない夜はないんだよ。

仕事を辞めて、母親の介護に専念できたのはいいものの、週7日のうち、週に1日だけ母親を病院に連れて行く生活です。

週に6日、私は何をするでもなく、無気力な毎日を送ることになってしまいました…

「こんな人間、社会のお荷物以外でしかない」

そんなことを私もボソボソとつぶやくようになりました。

振り返ってみると、あの時期、私もうつ病だったんだと思います。

何をするのも楽しくなくて、生きがいもやりがいも趣味も何もありませんでした。

途中、高校時代の恩師である「Y先生」に勇気を出して連絡して会いに行きました。

誰にも心の苦しみを相談できなかった私は、Y先生に心の苦しみをすべて打ち明けさせてもらいました。

明けない夜はないんだよ。

とやさしく私に語りかけてくれて、先生の前で涙が溢れ出してしまいました。

大量の涙が溢れ出して枯れた後…

私は自分にできることをしていこうと思うことができました。

むなしい気持ちはつのるばかり。

とりあえず、今のままでは自分自身のメンタルもマズイと思ったので、コンビニでアルバイトをすることになりました。

25歳のときです。

学生の頃の友達たちは、みんな順調に企業で仕事をしています。

私は社会のレールから外れてしまい、「どうしてこんな人生になってしまったんだろう」と思いながら毎日を過ごしていました。

そんな生活が続いていくと・・・

「自分は何をやってるんだろう」
「こんな奴、生きている意味なんてあるんだろうか」
「どうして自分がこんな目にあわなきゃいけないのか」

そんな心境の毎日でした。

どこにもぶつけられない鬱憤が溜まっていきました。

自分のできることをしていこうと思いコンビニでアルバイトをするも、むなしい気持ちは毎日つのるばかり…

そして…

通りすがりの神社に毎日行くようになり、参拝をするのではなく・・・

神さまに文句を言うようになっていました。

神さまに文句を伝えるのが日課に。

今思うと恐ろしいのですが、当時の私は神社に行っては「神さまに文句」を言う生活を送っていました。

なぜなら、神さまがいるのなら、こんな平凡な男に不幸な出来事を起こすわけがないから。

別に世の中のために良いこともしていないけど、そこまで悪いことをしてきた覚えもありません。

(知らぬ間に迷惑をかけていた人はいるかもしれませんが…)

だから、毎日、神社に行っては

「どうして自分がこんな目にあわなきゃいけないんですか?」

と叫んでいました。

「本当に神さまがいるなら、奇跡を起こしてみろ!」

と怒鳴ったりもしていました。

(本当に何をやっているのやら…)

でも、当時はそれが日課になっていました。

そんなことをくり返しのある日。

なぜだか私は、普段行かない本屋に引き寄せられるように行くことになりました。

ある一冊の本と運命の出会いをする。

そこで、私はキラキラと光っている本、を発見したのです。

(本当に本がキラキラ光って見えました。信じられないと思いますが…)

それは…

斎藤一人さんという方の本でした。

斎藤一人さんは「銀座まるかん」という健康食品の社長で、日本で一番納税をしている事業家でした。

斎藤一人さん???

当時の私は斎藤一人さんの存在をまったく知りませんでした。

その本を立ち読みしていると…

⦅斎藤一人さんの本の内容⦆

・どんなときも笑顔でいるんだよ

・人生は自分の使っている言葉通りになっていくよ

・人のしあわせを願うと、自分がどんどん幸せになっていくよ

というような内容が書かれていました。

今までの私ならそのような内容の本は、絶対に信じていません。

だけど、27歳当時の私は、ワラをもすがりたいような心境の時期でした。

なので、その一冊の本を買い、そこに書いてある本の内容を実践することにしたのです。

天国言葉の実践

⦅天国言葉⦆

愛してます

ツイてる

うれしい

楽しい

感謝してます

しあわせ

ありがとう

ゆるします

自分も周りの人もしあわせになる言葉です。

斎藤一人さんの

いい言葉を唱えていると、言葉通りのいい人生になっていくよ!

ということを信じて、ひたすら朝に晩に唱えるようになりました。

3ヶ月(100日)唱えると人生が変わると書いてあったので、とりあえずやってみることに。

すると・・・

あれ?奇跡が起こってしまった…

母親が奇跡的に、どんどん元気になってしまったのです。

はい!わかっています!大丈夫です!

そんな怪しい話は信じられないと思いますよね。

それはごくごく普通の考え方です。

ただ、私がこんな嘘をここでついても、なんのメリットもありません。

実際に私には、事実として奇跡的な出来事が起こってしまったのです。

24歳から27歳までの2年半、母親の介護に人生の時間を費やしてきました。

そして母親の介護生活が突然、終わりを迎えたのでした。

その後も、斎藤一人さんに教わったことは、日常の中で継続的に実践していきました。

斎藤一人さん以外にも、潜在意識や心理学や自己啓発の学びを猛烈にするようになっていきました。

そして・・・

運を高める生き方を徹底的に実践する!

運を高める生き方

それを実践することで、「人生は思い通りになっていく!」ということが、自分自身の実体験から確信できるようになりました。

⦅運を高めた結果のほんの一例⦆

・普通の会社員だった私が、その後、起業をし、軌道に乗せることができました。

・愛する女性を引き寄せ、結婚して幸せなパートナーシップを築けてるようにもなりました。

・大好きな石垣島に移住して、ストレスフリーな生活を味わえるようになりました。

etc

どん底人生だった当時の私には、今の私の暮らしなんて信じられないです。

それくらい人生が180度、劇的に変わってしまいました。

それらはすべて・・・

運を高める生き方を学び、徹底的に実践するようになったからだと思います。

運を高める無料メルマガ講座のご案内。

私はこの「運を高める生き方」というものを、独り占めするつもりはまったくありません。

ご縁ある方にシェアすることにより、豊かさを共有していきたいと思っています。

奥さんにも「運を高める生き方」を伝授して、彼女もしあわせいっぱいな毎日を過ごしてくれています。

私の周りのお客さまたちにも、余すところなくこの知恵を伝授しています。

それを今度は、このブログを読んでいただいているアナタにもシェアさせていただきたく思っています。

このブログを読んでくださっているのは、偶然ではなく必然です。

そうでなければ、ここまで絶対にこの文章を読んでいません。

まだ出会ったこともありませんが、ご縁が少なからずあるのです。

つまり・・・

「運を高めて人生を謳歌する生き方」ができる方ということです。

(すでに人生を謳歌している方は、より一層!)

ぜひ、このご縁という「細い糸」をこれからも大切に育んでいけたらと思っています。

どうぞよろしくお願いします!

無料メルマガ講座では…

私たち自遊人夫婦が実践している「運を高める方法」をお伝えさせていただいています。

もしも、思い通りの人生を送ることにご興味がありましたら、下記より無料メルマガ講座へのご登録をしていただければと思います。

以上が、私のプロフィールでした。

手短に伝えるつもりが長くなっちゃった…(笑)

最後までお読みいたただき誠にありがとうございました!